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上馬の家

古い日本家屋と庭の再生を考えた住宅です。地下のある平屋のRC建築物に、
以前からの日本間を写しています。南北の間口はほとんど建具による開口です。

TEXT『「そこの場所」としての住宅』

「そこの場所」としての住宅

土地や庭や建築や・・・・・・


いうまでもないことだが、建築物は特定の場所に残されるものだ。
たとえそれが、型式を決められた民間の工業化住宅であろうと、標準設計の公営住宅であろうとも、定められた敷地に残されたその後は、都市や、環境の一部として否応なしにものの堆積に加えられるのである。
環7の喧噪からわずかに逃れた住宅地の一角に建つこの住宅は、昭和の初期からこの地に建っていた古い住宅に代わるものとして計画された。
母娘ふたりのクライアントは2代にわたってその住宅で暮らされ、計画当時もその近所に住まわれていた。先代から引き継いだ、多くの記憶と、現実の生活の痕跡を残す建築物のリニューアルに際しては、古い建築物の保存をも含めた検討が繰り返された。
何度かその古い家を尋ね、雑草に覆われた庭を眺めていると、かつての世田谷の田園風景の一角で営まれていたであろう生活が想像されると同時に、クライアントから聞いていて、想像していた、その和室と庭での生活を邪魔だてするような雑多な要素も目につき始めたのである。その一つの大きなものは、老朽化や家に取り残された多くのものなどではなく、数十年のうちに成長した庭と、度重なる増築によって、面積は増えこそしても、だんだんとこぢんまりしていった建築物とのバランスのずれのようにも思われた。そしてそれは、この先この場所を引き継ぐことになる建築物が受け入れなければならない、永い時間への啓示でもあったのだ。
検討の果てに、場所と生活の継承は、古い住宅そのものの保存としてではなく、建築物がその土地で、庭や植物と培ってきた共棲的な関係の継承として新しい建築物の設計に引き継がれることとなった。


サンドウィッチの中味


南北の庭の間に差し渡された床と屋根にあたる2枚のスラブから設計は始まった。庭を抜ける風の流れを妨げないためにも、建物前面より松の木越しに見る空の量を確保するためにも、地上階は平屋であることが必要とされた。
防音上の理由もあって、アトリエや倉庫などの必要なヴォリュームは、ドライエリアと共にほぼ建物の全容量に等しい土量と交換されて地下に置かれ、ドライエリアは北庭に代わるサンクンガーデンとなった。
屋根スラブは視覚的に建築物のフレームを意識しないように逆梁とし、ちょうどお釜の蓋のような断面の屋根スラブの主要部分は、外断熱の上に浮かせて折板を差し渡し、防水に代えている。置屋根の効果は大きく、猛暑の炎天下にも直天の頭上から輻射熱を感じることもなければ、夕立の雨音をうるさく聞いたこともなかった。
室内側に凹凸のない、プレーンな2枚のスラブの間に納まるインテリアは、庭を一体の場とする建築物に与えられたアーキテクチャーに対しては副次的な物ともいえる。
サンドウィッチの中身と呼んでいた和室のインテリアは、以前よりその場所にあった住宅の再現である。平面の変更によって使えなくなった構造材等は除き、床框や床柱、建具等再使用が可能なものは極力以前のものを利用することにした、ただし四畳半は以前の住宅で離れといわれていたものに当たるが、位置も造作も新しい。いわゆるリビングルームも立派なダイニングもないが、和室本来のユニヴァーサルな使い回しはこのようなおおらかなプランを苦にしないどころか、南北の庭に開け放された、内部とも外部ともつかない空っぽの佇いのなかでこそ、活かされ、人を和ませた。


しかし、これらのインテリアは、将来の必要に応じて、取り壊し、つくり直すことすら可能なテンポラリーのしつらいでもあるのだ。だから、スタイルとしての和風建築を目指したつもりはないが、建築を具体化させるうえで、先代から日本庭園と和室を継承する際に、RCスラブの一般的な建築物と和風建築のスタイル双方に互換性をもつ方法を見つけておく必要はあった。
そして、この建物の場合は、水平線の保存とそれを補完する、引戸の組合せによる内外の間仕切りが、建築的な構造と和風のスタイルとを結びつける要素となった。
水平線は、入れ子状に連続し、そしていささかのギミックを隠した建具は、雁行する建築の南側全間口をガラス戸と網戸、雨戸のそれぞれ全閉から全開までのさまざまなバリエーションに入れ換えることができる。永い将来に渡って水平を担保しなければならない引戸の上枠には、躯体のクリープを考慮してクリアランスを取り、ボルトを介してアンカーを取った。


あまり状況にかかわりなく


数十年後に、この建物にかかわる人と、周辺の状況は想像もできない。2,3心配なところはあるが、基本的な耐久性は大丈夫、・・・・・・・・・・・・・まだまだ大丈夫でしょう。
間取りや内容がガラリと代わってしまっているかもしれないが、そんな先のプログラムまではとても予想できるものではない。その点、この建物のようにはじめからプログラムを欠いた建築は気が楽である。それに加えてまた少し気が楽になることもある。
ただ一回りの季節の経験ではあったけれど、設備機器に頼ることなく、冬暖かく夏涼しい建物だったということだ。
建築を取り巻く価値観や環境は社会と共に変わっていくだろう。
けれども変わらぬ空のお天道様うんぬんなどというつもりはない。それどころかすべての建築物が、時間に耐えて長く存続する必要はないとさえ考えている。ただしそれは誰かが責任をもってきちんと壊してくれればの話であって、実際には多くの建築物が否応なしに残らざるを得なくなっているという状況があるのだ。
そんな不明な未来に送り出される建築は、さまざまな意味の建築である前に、具体的な環境や生活に有効な、ものや道具であってほしい、と考えている。