Architect

脳化社会

2007年5月

養老孟司さんの本を読んでいると、都市が脳化して行くという話があります。
すべてのものごとを意識化あるいは情報化する脳がつくる都市や社会なのだから、脳と類似的なものになって行くのは必然的だという大変興味深い話です。
そんな折りNHK特集「グーグル」を観て、世界もバーチャル脳(ブレイン)になって行くのだろうかと思いました。
そして、脳化した世界にとっての身体は何なのか考えてしまいました。
人類の「身体性」なのでしょうか?
少なくとも僕本人の体じゃなさそうです。
世界が脳となり、「人類の身体性」が「地球環境」で共生するとなれば、僕の脳と身体は地球環境の局地的センサーとなる世界脳の末梢神経か一細胞に過ぎなくなるのでしょうか?
そこでまた養老孟司さんの「中枢は末梢の奴隷である」という言葉を思い出しました。脳と末梢神経の関係のことなのだそうですが、いい感じの言葉です。
個体として生きるなら、中枢にしがみつくよりも末梢としての主体性を持って生きたほうが居心地が良さそうです。
無数の中枢情報の中で自分を見失う以前から、僕たちは世界の末梢として主体性を持っているのです。
それとうらはらに、「お客様は神様」という企業や「国民に奉仕」という政府がなにやら疑わしく見えるのはなぜでしょうか?
それは、明らかに顧客や国民という「末梢」の奴隷のごとくにふるまっている「中枢」(企業や国家)が、本当に人の主体性を大事にしているのではなく、
お金(代金や税金)の払い主、あるいは票の持ち主、など量の最小単位、つまり「情報」として人を見ているからなのだと思います。
社会に於ける「末梢の主体性」を大事にすることが、定量化された情報(中枢の仕事)や多数決という制度を越えた民主主義の原点なのだろうと思います。

(住宅特集2007年3月号掲載)