Architect

建築の寿命

2007年5月

建築は長く使えた方が良い理由について、内田祥哉さんは「だってひとつの建物が二倍長く使えれば時間単価は半分になるってことでしょう」と明晰に答えられました。
長持ちする建築にはコスト・パフォーマンスを上げる、という経済的に正しい根拠が
あります。
長く使い続けられると言うことは、建築にとって大切なことです。
またそれは同時に、建物を長く使い続ける人の社会にとっても大切なことなのですが、昨今「建築の寿命」と簡単に言われるときに我々はつい、「長持ちする物」としての建築を考えがちです。
人に寿命があるのは誕生日と命日があるからです。
けれども一個体として生きて死ぬ人間も、社会や文化を持つことでより大きな時間と空間を生きられます。
同じように建築も人の社会無しには価値がありません。
建築の命日について決めがたいものがありますが、誕生日については「引き渡し」という行為が当てはめられそうです。
落語に出てくる長屋のクマさんハっつぁんが大工や左官屋や瓦職人で、文句を言いながらも修繕を続けていた紙と木と土で出来た江戸の街は300年以上も長持ちしたのですから、初めや終わりがなければもとから建築の寿命を考えることもなかったように思えます。
しかし引き渡される建築には寿命があるのです。
林昌二さんが「建築にも葬式を」とシニカルに語るとき、建築個体の寿命とともにどうしてもそれを葬り去る社会のことを考えざるを得ませんでした。
「安楽死」も英語でmercy killingと聞くと安楽な感じはしません。
建築の寿命についても「耐久消費財と社会の道徳」が臆せず語られても良いのではないかと思います。

(住宅特集2007年5月号掲載)