Architect

建築の具体性

2007年11月

人の生活の中で建築はどの辺にあるのか、ということをたまに考えることがあります。
壁の中心線に囲まれた範囲、などという抽象的なものではなく、人が朝起きて、夜寝るまでの間、あるいは寝ている間もかもしれませんが、人の生活はあらゆる物や環境に囲やまれて続けられています。
衣類や食べ物や書類は明らかに建築とは異なりますが、家具やインテリアとなると微妙に近づいてきます。建具や作り付けの収納などは建築工事に含められていますが、建築の不可分な一部になっている場合もあり、交換可能な部分になっている場合も多く見られます。そう考えてみると床や壁ですらそれ自体は何か物のしつらえで、物自体が建築であるとはっきり言える根拠はないように思えます。
では結局建築とは物の関係や背後にある不可視な概念なのでしょうか。
そうではなく、やはり建築は具体的なものであると僕は考えます。どのような具体性なのかと言えば。演奏された音楽や語られた(書かれた)言葉と同じリアリティを持つ「具体的な体験」なのだと考えています。
肝心なのは、空中の音波(音)や紙に残されたインクの痕跡(字)そのものの具体性ではなく、リトラシーを持った受け手側において具体的と感じられることなのです。
同様に建築も書かれた記号や、組み立てられた物だけに具体性を求めるのはいささか見当違いなのだと思います。物や図形に込められた「なにものか」が受け手に具体的なものとして感じ取られるところに建築のリアリティーがあるのだと思います。
人は発信者である以前に受信者なのです。

建築家も作家である以前に具体的な建築の受容者としてのリトラシーを持っていなければならないと思っています。