Architect

回転扉の行方

2007年5月

悲惨な事故以来、多くの建物から回転扉が消えました。
「危険要因の排除」という粛正の嵐が吹き、商業施設で回転扉を目にする機会も減りました。
建築は人が使う物ですから使用上の安全は基本的な要件です。
回転扉を悪者としてとりあえず排除するのは結構ですが、回転扉の何が危険だったのかをきちんと検証しないままでは、あわてて撤去する回転扉の危険性に長年気付かなかった無作為を繰り返すことになります。
センサー等の技術的対症療法については語られていますが、その程度の問題なのでしょうか。
機械や技術の合理性や建築の計画では、違反や「想定外の」事故はあまり扱われせん。問題とされていないのです。
けれども「想定外」の事故によってあからさまになるのは、いつも苦痛や血を伴う人の「身体性」に他なりません。
それこそ僕たちが最も大切にしなくてはならないものなのです。
あまりに多くの日常を機械に任せているために、僕たちは意識と世界の間にある自分や人の身体性を忘れがちです。
基本的安全性は人の身体性に遡って検証されなくては意味がないのです。
それは技術の表層に留まらないデザインの本質的な問題でもあると僕は考えています。
回転扉の機構や形式を基に製品を改善する余地はまだまだあるように思えます。
日常の生活や仕事に使われている建築は、人の身体性を遙かに越えた質量やエネルギーによって成り立っています。
つまり事故が起これば人の身体に致命的な傷を負わせるものなのです。
とは言え、現在の自動車のように安全装備の塊のようになって行く「商品」の道を建築も辿るべきだとは思いません。自動車のような機械と違って建築には基本的に現場の身体性を持ち得る余地があるからです。
けれども設計や建設の現場で、安全性の検討が身体性を離れて責任範囲の線引きに置き換わっているようなことが続く限り、人の身体は依然危険に晒され続けるのです。

 

(住宅特集2007年1月号掲載)