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加速する振動

2006年7月

このコラムは、ものすごく広大な文化や歴史の解釈を、ものすごく私的な観点で、簡単な図像にしてみた話です。従って学問的でも科学的でもない雑文です。
ひとつは、大きくゆっくり変化していた歴史の変化が、だんだん早くなり、現在は「歴史的」という記述も成り立たなくなるほどの同時多発的変化が日常化しているのではないかということです。
その加速する歴史の変化を、「神様の時代」と「人間の時代」に2分して、オセロの裏と表の反転のように見てみました。
「神様」というのは、運命や機械的な制度、全体主義など人の不如意なもの全般の例えです。イデオロギーや宗教とは無関係なものです。
固有の地域や文化、歴史や記述の主体性などを考えれば、そんな簡単な構図が成り立つとは思えませんが、例えば、の物語を考えるのは自由です。
そして、重層的に情報化されてしまった世界を前にして、僕たちはどうそれを認識したらよいのか、ということも考えました。

文化の共有 (前置き1)
我々は、どんな歴史の果てに現在いるのか、を語ることは容易く出来ません。
国の歴史ひとつを取っても、自国の歴史観と近傍諸国の認識とは大きく異なっています。自国の歴史観といえどもひとつのものではありません。様々な国や文化の時間的な交錯の中で起こった複雑な現象を、様々な史観を持った様々な立場の人たちが歴史に記述します。従って一筋の川の流れを辿るように、自分のいる現在から、それを導いてきた過去を辿ることは出来ないのです。
それと同時に、我々は異なる世界の異なる文化や歴史に大きな影響を与えられてもいるのです。またそれ以上に様々な歴史と文化の共有無しには現在の我々も有り得ないことも知っています。それどころか、あちらこちらで軋轢を起こしながらも西洋文明が世界標準の価値観になりつつあるのは否めない事実です。
とはいえ、その西洋文明もひとつの流れに留まっていられる訳もなく、便宜上の共通言語に留まっているだけかもしれません。なにしろ、これほど部族的な日本人共同体も西洋文明の担い手(のはず)と我々は考えているのですから。
自分の属している文化や、現代の文明がどのようなものだとしても、通信速度の高速化と情報網の普及により、我々は、いながらにして世界のあらゆる動きを感じながら、国境を越えて通貨で取り引きし、様々な国や地域の人々と同時代的な交流を続けています。化石燃料資源や食料の海外依存、また安全保障の問題を考えれば、生活を共にしていると言っても過言ではありません。
幻想も現実も織り交ぜて、現在の我々の世界認識は、西欧的な言葉や歴史観を通して知り得た世界なのだとも言えるのです。

都市とサブカルチャー (前置き2)
僕が社会の不思議さに気付き始めたのは、もの心の付き始めた中学生の頃でした。時代は1960年代の終わり頃です。学生運動や政治的な動きは良く理解していなかったのですが、ビートルズやローリング・ストーンズの音楽などと共に、つぎつぎと紹介される
サイケデリックやロンドン・ポップとか呼ばれるデザインやファッション、アメリカの
ヒッピームーヴメントや反戦運動、などはTVや雑誌を通して手許に届くようになってきました。同時に新聞やTVの画面を通して届けられたのは、国会議事堂を取り巻くデモ隊、ベトナム戦争の状況や、侵入するソ連軍の戦車の前に立ちふさがるプラハの市民たちの映像でした。
当時ハプニングと呼ばれていたストリートパフォーマンスや60ユsファッションの街の人々と、世界や日本で起こっている国や制度の諍いに、どんな関係があるのかはわかりませんでしたが、国や制度の持つ機械的なものと、人や人の共同体が持つ生々しい人間的なものの対比がその頃の僕には印象づけられました。
その後、当時興味を持っていた世紀末美術やシュールレアリズムの絵画を通して知った無意識の世界と60年代のサブカルチャー体験が、何となくつながっても思われてきました。
都市には、整然と整理された合理的な部分と、欲望に満ちた猥雑な部分が同居しています。
それが都市の魅力でもあるのですが、上層で区分けされたその両者に隔てなく下層でつながる無意識のようなものが都市にはあって、合理的なものと猥雑なものの間に、実は簡単に区分けできないコンプレックスを作り続けているのではないかと考え始めました。表層都市の下層にはいつも見えない都市が重なっていて、それこそが都市の魅力を魔力に変える力を持っているのではないかと思い至るようになりました。
それ自体、僕が都市の魔力に取り憑かれたことの証左なのかも知れません。
そして、いろいろな局面で、都市は、見えているようにだけでなく現れることがある、ことに気付きました。絵画や演劇の中に都市が現れることもあれば、ファッションや音楽や、ライフスタイルに関わる小さなものが都市を映し出したりするのです。流通や経済に則ったものや、高度な芸術だけではなく、サブカルチャーとも呼ばれるポップなものが都市を映す鏡であったりもするのです。
そして、60年代にちょっとした異物のように現れた現象が、最近ではだんだん世の中に溶け込んで見えるようになりました。街の流行や地域的な特色というようなまとまりを欠いて、ばらばらな小グループになって遍在しているようにも思えます。
かつて感じた、機械的なものと生々しく人間的なものが随分細かく均等に振りまかれているようにも感じられるのです。

歴史の波動
高校生のとき「ギリシャ悲劇とシェイクスピア悲劇の違いは運命悲劇と人間悲劇の差である。」と授業で聞いたことが頭の片隅に残っていました。
神様に運命をもてあそばれる悲劇と、自ら作った出口のない状況で起こる悲劇の話は、古代と近代の人生観を端的に表していて納得した覚えがありました。
現代の都市状況から60年代の頃に感じた機械的なものと生々しいものの対比を思い出したとき、同時に思い出したのがそのエピソードです。
そして考えたのが、それはシェイクスピアだけの問題じゃなくて、もっと一般的な形で繰り返されてきたことなのではないか、ということです。
もっと一般的な形というのは古代近代に限らず、「神様が運命を決める時代」と「人間が運命を決める時代」に大別してみれば、という大変乱暴な括りです。
そんな白と黒の色分けを思いつきました。
かつて思った「機械的なもの」と「人間的なもの」の対比で、機械的なものを神様としました、それを国家や制度や権力と読み替えても良いと思います。
時代という言い方も、歴史的な区分であるよりも、その文化の持っているある側面的な
イメージと考えました。制度の時代、人間の時代などと簡単に括れる歴史の区分はあり得ません。けれども「戦争の時代は人間個々よりも制度や国家が表に現れていた時期だった」と言うことは出来ると思います。
また、物語は過去には僕たちに無縁だった西欧の時間軸をなぞったものです。それは僕たちが生きている現代都市の状況が、共存(あるいは依存)している西欧のスタンダードに沿ってしか意識の足許を辿っていけないものになっているからだと思っています。
というわけで、歴史物語は「神々のギリシャ」から始まることになるのです。

ギリシャ時代を神々が世界をもてあそんでいた宿命の時代とすれば、(神様の時代)それに続くローマ時代は人間の欲望の時代と言えるでしょう。(人間の時代)
ギリシャの人々は幾何学や哲学、音楽などを通して宇宙の摂理を求めていたのに対し、ローマの人々は血生臭い権力闘争や、欲望を満たすことに忙しかったようです。これはあくまで歴史のイメージの話です。神々の物語とすれば、アポロドーロスの記した「神話」とローマの詩人オヴィディウスの書いた神話物語「メタモルフォーセス」の違いと言えば良いのでしょうか。前者が家系図と運命の記述のみのような原型的なギリシャ神話とするならば、ローマ神話とも言われる後者は生々しい人間の欲望の世界に置き換えられた神々の物語です。
そんな生々しい人間の色濃い文化のイメージと裏腹に、ローマ帝国は強大な権力機構でもありました。理性のギリシャが奴隷制度の上に成り立っていたように、豊かなローマ帝国も、所属しない人々にとっては侵略と圧制の機構でしかなかったものと思われます。
「人間が運命を決める時代」の最中に、自らを「神の子」と称して、言葉と身ひとつで巨大な権力に対峙した最もローマの神々から遠い人間、イエス・キリストもその時代に生きて、処刑されたという入れ子の矛盾を孕んでいるのもこの時代です。

長い栄華と更に長い衰退を経てローマ帝国が滅んだ後、ヨーロッパを支配するのはただ一人の神です。暗黒の中世と呼ばれるこの時代に、人の運命を握っているのは神、あるいはその代理人としての教会機構でした。(神様の時代)
そして人がその手に運命を取り戻すルネッサンスの時代が来ます。(人間の時代)
それもつかの間、機械的合理主義と共に、封建的な社会構造の古典時代が訪れ、人は社会制度や機械的合理性の中で生きるようになります。(神様・機械論の時代)そして、ブルジュワジーたちの近代を迎え、人は言葉や道具のように獲得した手段、貨幣の流通による封建主義を越えた個人の自由を獲得するのです。
急速に資本主義的発展を遂げたアメリカからも自由の気運は運ばれてきました。(人間の時代)しかし、それは当時のイギリスに見られたように、形骸的なヴィクトリア朝の社交界の華やかさとスノビズムの下に多くの抑圧された労働者達を抱える、内部矛盾に満ちた自由でした。
歴史が一部の人や階級のものでなく、万人のものとなりつつある過程では白と黒の併存のような二律背反する状態が現れるようにもなってきました。
つまり、語る言葉を持った「人間」の疎外が顕在化してきたとも言えるのです。
また、それと同時に西洋の近代化は資本的覇権主義から植民地という形で異なる文化圏への進出を始めます。それらは相互の文化的影響も作りはするのですが、一方的な抑圧に根差していました。そうして西洋の近代は、内部にも外部にも抑圧と人間の疎外を含む矛盾に満ちた
繁栄を獲得することになったのです。(神様・資本主義的制度の時代)そして、それらが一気に解き放たれたかのようにも見える短い季節が訪れます。
19世紀末から20世紀初頭に現れるモダニズムの季節です。社会的にも精神的にも内部矛盾に根差した下部構造に光が当てられ、ロシアでは革命運動と共にアヴァンギャルドの美術やデザインが出現し、パリではシュールレアリスムの文芸や美術が興隆してきました。 (近代的人間の時代)
そして、つかの間の自由の後に戦争の時代が来ます。人々は望むと望まざるを問わず
、国家機構の歯車に巻き込まれて行くのです。(神様・戦争の時代)
戦後の自由をもっとも謳歌したのはアメリカでした。映画「アメリカン・グラフィティ」に象徴されるような豊かで自由な、佳き時代のアメリカ(富める人間の時代)はこの時代を堺に、かつてのヨーロッパと似た道を歩むことになります。米ソ2極対立、東西のいわゆる冷戦を背景に、朝鮮半島、ヴェトナムと立て続けて戦争の泥沼へと引き込まれてゆくのです。(神様・政治的体制の時代)
そして、反戦運動やドロップアウト、ヒッピームーブメントの60年代へと続いて行くのです。(人間・反体制の時代)
そして、表出したサブカルチャーは70年代には見事に商品化され、80,90年代は何かの映画にあった「カモメのジョナサン」しかなかった、表向きはつまらないミニ19世紀のような時期でした。しかし最早現代と呼べるこの時期に急速に発展し、普及してきたものがあります。言うまでもなくPCとそのネットワークです。20世紀末から21世紀にかけて現れてきたのは、世界の文字通りの同時性と、すべての人がそれぞれの歴史を語ることの出来る可能性でした。
それは、あるいは歴史という言葉の意味が希薄になってきたということなのかも知れません。
そのようなグローバル化も、頻発するテロや犯罪という新たな疎外や内包する矛盾を、それらを作り出したとまでは言い切れませんが、表出させています。
白と黒の時代の転換はだんだんとその速度を速め、今や時代を動かしているのは「神様」なのか「人間」なのかわからなくなってしまいました。(振動の時代)

歴史の終焉
歴史の移行速度がだんだんと速くなり、情報の数や語り口も加速度的に増えてゆくのは当然の成り行きだったとも言えます。
ひとつには現代に近づくほど過去の記述も累積し情報量そのものが実際に増えてゆくという事実があります。また、情報源の数、言葉によって記述できる人が加速度的に増えているはずです。通信や輸送手段の高速化も大きな要因です。
そのような、情報の拡散化と数量の加速度的な増加と集積が変化の速度を上げてきた一因だと思われます。
ただし変化しなければならなかった理由そのものは僕にはわかりません。
情報や熱のエントロピーが増大して行くように、すべてが拡散し世界はコロイドやノイズのような状態に向かって無意味になって行くとも思えません。
けれども世界は確実に都市化して行き、情報としてのみ認識されてゆく方向に向かっていることは確かなように思えます。
爆発的な情報量の拡大と集積、僕たちはコンピューターやインターネットなどの道具と都市を通して、単純な歴史や物語の成立しない、共時的なしかも多発的な変化の時代を迎えたのだとも言えるでしょうか。

小さな無限の世界
世界のすべてと、与えられた情報すべてを「意識」に載せたならば、そのカオス的無意味さに人は気を失ってしまうでしょう。人はともかく僕にはせいぜい次の行の言葉を探すぐらいが意識に出来る関の山です。記憶や無意識のデーターには僕の、意識しないが知っている、ことがあり、意識は時たまそれらを拾い出して並べ替え、「故に我あり」と思うくらいです。寝ている間や、酔っているときなど意識の下から何が飛び出してくるか予測も付きません。
知識や記憶、良くわからない無意識のデータなどのガラクタがつまっている真っ暗な部屋で、手に持っている懐中電灯の明かりが、やっと照らし出す小さな部分が意識や意味なのでしょうか。その部屋が広いのか狭いのか、一間なのか二間なのか、それともまだまだ奥へ続く迷宮なのかもわかりません。
何しろ照らされた部分を記憶でつなぎ合わせたことしか知らないのですから。
それが僕の頭の中だとするなら都市や世界もきっとそのような霧のかかった薄暮の迷宮なのだろうと思います。
都市化して、同時多発的に現れる無数の情報となって行く状態を想像すると、世界は途方もない量の認識不可能なカオスのように思えます。しかしそれは前に述べた世界のすべてを意識に載せたなら、と同義語のようにも思えます。
情報化した世界は都市の表層の下に重ねられた下層の都市構造のように、ただ一つの風景に幾重にも重ねられた、それだけでは意味をなさない、つまりそれ自体が意識に昇ることのない情報なのだろうと思います。
情報量の多さと集積度の高さが世界そのものを拡大する訳ではないのです。
数学の歴史のなかで、隣り合う整数の間に無限の有理数や無理数が発見されても、整数で刻まれた物差しの目盛りは少しも広がりはしないことと同じです。
見えるものと言葉で書かれていた、世界と歴史の行間には幾層にも広がる無意識のように無限の情報が書き込まれているのではないか、と考えています。
我々は、ややもすると語られた物事の大きさや完結性に、つい評価すべき意味を見いだしがちだったと思えます。しかし、今や小さな歴史や現象のなかにも全世界と比肩し得る情報があり、むしろ意識の光りが届く小さな範囲からしか、大きな世界を覗き見ることは出来なくなってしまったかのようにも思われます。
もはや限られた「全体性」の認識は不要になったのではないでしょうか。
「全世界」や「地球環境」のように安易な全体性の設定はあきらめて、それらをイメージと認識した上で、無限に連続する様々な部分の構造的な役割を考える新しい「理性」こそが必要なのではないかと思います。